今回は上杉家の下で数多くの伝説を残した武将小島弥太郎についてみていきたいと思います。
小島弥太郎という武将を皆さんは知っていますか。
自分は正直名前ぐらいしか知りませんでした。
私は「鬼小島弥太郎」というフレーズは聞いたことがありましたが、伝説については全く知りませんでした。
また調べてみると、上杉家の武将として政治や軍事の面で大きな働きをしたかというと「・・・」という感じのようでした。
今回は伝説を数多く残した猛将中の猛将小島弥太郎についてみていきましょう。
ちなみに、上図は織田信秀で信長の野望をプレイしてみた動画です。
歴史が好きすぎるので作っちゃいました!!
よろしければ見てください~
小島弥太郎は上杉謙信の幼少期から側近として仕えて、武功を上げ続けたと言われています。
小島弥太郎の妻は上杉謙信に見初められた河田長親の娘であり、上杉謙信に信頼されていた証拠とも言えます。
ところが、小島弥太郎の出生については詳しいことはわかっていません。
また、亡くなった時期についても諸説あるようで、確証のある資料がないのが現状のようです。
新潟県長岡市栃尾大野町の天神山に、「小島弥太郎の戦死の地」とされている場所があります。
お墓については別途あるようで、長野県飯山市の英岩寺に小島弥太郎のお墓が存在しています。
これらの情報から「小島弥太郎が存在したのは間違いない」と言いたいところですが、実在したか疑われている証拠も見つかっています。
上杉家の公文書である軍役帳や名簿に小島弥太郎と思われる記載が全くなかったのです。
普通これほどの武将であれば必ずと言ってよいほど資料が残っているはずなんです・・・。
その他の情報としては、小島弥太郎は新潟県長岡市にある乙吉城の城主であったと言われています。
城主であればなおさら軍役帳などに名前が載っているはずなのですが・・・。
さて、前置きはここまでにして、実際に鬼小島弥太郎にどのような伝説があったのか確認してみることにしましょう。
今回紹介するのは、有名な三つの伝説についてです。
まず一つ目の伝説についてお話させていただきます。
1553年、上杉謙信が初めての上洛の際の話になります。
上杉謙信が上洛することを聞いた第13代将軍・足利義輝は、謙信の器量を確かめるために一つ策を講じます。
凶暴な大猿を飼っていた足利義輝は、この大猿を謙信の通る道端から飛びかからせ、反応をみようとしたのです。
しかし、とある諜報網により事前にこれを知ってしまった謙信は、小島弥太郎を一足先に京へ向かわせる事にしました。
小島弥太郎は、その大猿が飼われている番所の役人に取り入り、大猿の檻に近づきます。
小島弥太郎は大猿に餌を何度か与えた後、大猿の腕を捕まえて力任せに鉄格子に押さえつけます。
そして、この大猿を睨みつけて威嚇したと言われています。
弥太郎の怪力に大猿は悶え苦しみ、泣き叫んだと言われています。
謙信の上洛当日、謙信一行の通る道端にはこの大猿が繋がれていました。
しかし、謙信の脇に控える弥太郎の鋭い眼光を見た大猿は、震えて手も足も出なかったと言われています。
次いで二つ目の伝説についてです。
川中島の戦いでの話になります。
小島弥太郎は謙信の使者として武田信玄の下に赴くことになりました。
武田信玄の陣には甲斐・信濃一円に知られている「人喰獅子」との異名をもつ
猛犬が用意されていました。
武田信玄は、いたずらの心で行ったのか、小島弥太郎の噂を聞いて確かめようとしたのかはわかりません。
何も知らない小島弥太郎は、信玄の前で使者の向上を述べていました。
その時、突如猛犬が小島弥太郎の脛に飛びかかって噛みついてしまいます。
しかし、小島弥太郎は顔色一つ変えずに使者の口上を述べながら「人喰獅子」の口元を握りしめたそうです。
そして、信玄の返答を聞き終わると手に力を入れて握り潰し、立ち上がるやその「人喰獅子」を広場に叩き付けて殺してしまいます。
小島弥太郎は何喰わぬ顔で退出し、信玄をはじめ周囲にいる人々を驚かせたと言われています。
最期に三つ目の伝説についてです。
今度は第四次川中島の戦いの時の出来事です。
小島弥太郎は、武田家最強の武将と名高い山県昌景と一騎討ちを行っていました。
戦闘を行う中で、山県昌景は武田信玄の跡取りである武田義信が窮地に陥るのを見てうろたえ始めます。
そこで小島弥太郎に「主君の御曹司の窮地を救いたいので、此度の勝負を預けたい」と願い出ます。
この時、小島弥太郎はこの申し出を快諾し、戦闘を中断してくれました。
山県昌景は小島弥太郎のこの振る舞いに対して、彼を「花も実もある勇士」と褒めたたえたと言われています。
いかがでしたか。
私はどれもあり得ない話だと感じてしまいました。
仮に似たような状況があったとしても、誇張して描かれたのは間違いないと思います。
ただ、これが事実だとしたら「鬼小島」と言われたのも納得できますね・・・。
今回は事実の是非はともかく、伝説を多く残した武将小島弥太郎についてお話させていただきました。
ではまた他の記事でお会いしましょう。
ではでは~